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東京地方裁判所 昭和31年(ワ)5192号 判決

原告 八木秀次 外四名

被告 国

訴訟代理人 武藤英一 外二名

主文

被告は、原告八木秀次に対し金六万三三二〇円、原告柏木庫治に対し金五万五〇二八円、原告関根久蔵に対し金五万七六二五円、原告大谷贇雄に対し金七万一九九〇円、原告楠見義男に対し金二万八〇〇〇円及び右各金員に対する昭和三一年七月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は、「被告は、原告八木秀次に対し金一〇六万三三二〇円、原告柏木庫治に対し金一〇五万五〇二八円、原告関根久蔵に対し金一〇五万七六二五円、原告大谷贇雄に対し金一〇七万一九九〇円、原告楠見義男に対し金二六六万六〇〇〇円及び右各金員に対する昭和三一年七月二九日から完済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

一  後記昭和二八年四月二四日施行の参議院全国選出議員の合併選挙及び昭和二九年一〇月一七日施行の同再選挙当時原告八木秀次は、東北帝国大学教授、大阪帝国大学教授、大阪帝国大学総長、東京工業大学学長及び技術院総裁等を歴任し、その間工学博士の学位及び八木アンテナの発明者として藍綬褒賞を授与され、かつ参議院議員当選一回の経歴を有し、武蔵工業大学学長、大阪大学名誉教授竝びに日本学術会議及び日本学士院各会員等の地位にあり、原告柏木庫治は、天理教本部教学審議会委員長及び参議院議員当選二回の経歴を有し、天理教東中央分教会長及び同教東京教務支庁主事の地位にあり、原告関根久蔵は、埼玉県農業会会長、全国共済会副会長及び衆議院議員当選一回の経歴を有し、埼玉県農業協同組合連合会、同県農業共済組合連合会及び全国養蚕販売農業協同組合連合会各会長等の地位にあり、原告大谷贇雄は、名古屋市会議員、愛知県教育委員会委員長及び参議院議員当選一回の経歴を有し、全日本社会教育連合会副会長、愛知トヨタ自動車株式会社参与、日本私立中等学校高等学校連合会理事及び世界仏教徒連盟理事等の地位にあり、原告楠見義男は、農林省総務局長、同省資材局長、食糧管理局長官及び農林次官等を歴任し、参議院議員当選二回の経歴を有し、全国農業会議所事務局長の地位にあつたものである。

二  ところで、昭和二八年五月二日に任期が満了する参議院全国選出議員五〇名(任期六年)及び同補欠議員三名(任期三年)の合併選挙について、同年三月二四日これを同年四月二四日に施行する旨官報を以て告示され、原告八木秀次は日本社会党から、原告関根久蔵及び同大谷贇雄は自由党から、原告柏木庫治及び同楠見義男は緑風会から、それぞれ公認されて、右選挙に立候補し、原告関根久蔵及び同大谷贇雄は通常議員に、その余の原告らは補欠議員にそれぞれ当選した。

三  ところが、右選挙に際し栃木県佐野市選挙管理委員会の職員が、公職選挙法第一七三条第一七四条の規定に従い、昭和二八年四月一四日から選挙期日である同月二四日までの間、同市相生町三〇二番地佐野市保育所外二〇箇所に設けられた投票所の入口その他の公衆の見易い場所に、全候補者の氏名及び党派別の掲示をしたが、その掲示において、日本社会党から公認されて立候補した訴外平林剛の所属政党を日本共産党と誤記したので、同訴外人が、右掲示の誤記は違法であるから、右選挙のうち佐野市における選挙は無効であるとして、昭和二八年五月六日中央選挙管理委員会を被告として、選挙無効の訴訟を提起したところ、昭和二九年九月二四日最高裁判所において、右掲示の誤記は、公職選挙法第一七三条に違法し、且つ選挙の結果に異動を及ぼす虞があるものとして、「右選挙のうち、佐野市における選挙を無効とする。但し右選挙における当選人五三名のうち、原告ら及び訴外大倉精一を除いた四七名は、その当選を失わない。」旨の判決がなされ、その結果原告らは同日限り当選を失い、参議院議員の地位を喪失した。

四  そして、右判決の確定により昭和二九年一〇月一七日佐野市において再選挙が行われ、その結果原告楠見義男を除くその余の原告らはそれぞれ再び参議院通常議員又は同補欠議員に当選したが、原告楠見義男は落選した。

五  しかし原告らは、右のように一たん当選人となりながら、右掲示の誤記のため、選挙無効の訴訟が提起され、その判決が確定して再選挙が施行されたことにより、次のような物質的及び精神的損害を蒙つた。

1  右再選挙のための選挙運動費用として、原告八木秀次は金六万三三二〇円、原告柏木庫治は金五万五〇二八円、原告関根久蔵は金五万七六二五円、原告大谷贇雄は金七万一九九〇円、原告楠見義男は金二万八〇〇〇円の支出を余儀なくされ同額の損害を受けた。

2  原告楠見義男は、昭和二九年九月二四日選挙が無効とならなければ、同日から昭和三一年五月二日補欠議員(任期三年)としての任期が満了するまで議員として月額金七万八〇〇〇円の割合による歳費合計一六三万八〇〇〇円の支給を受けることができたのに、前記のように選挙無効により議員たる資格を喪失し、再選挙に落選した結果、右歳費の支給を受けることができず、これと同額の損害を被つた。

3  さらに原告らは、昭和二八年五月六日選挙無効の訴訟が提起されてから昭和二九年一〇月一七日再選挙が終了するまで一年有半の間、殊に選挙無効判決確定の日から再選挙の結果が判明するまでの間、一たん取得した議員の資格を喪失するかどうか不安焦燥の念にかられ、原告らの被つた精神的苦痛は金銭に見積り得ない程甚大であり、これに対する慰藉料は、原告らの前記社会的経歴及び地位等からすると、原告ら各自について少くとも金一〇〇〇万円を下ることはないといわなければならない。

六  原告らが右のような損害を被るに至つたのは、前記のとおり昭和二八年四月二四日の全国区参議院議員選挙に際し、佐野市選挙管理委員会の職員が公職選挙法第一七三条所定の候補者の党派別を過失により誤記して掲示したことに起因するものである。しかるところ、右選挙管理委員会が公職選挙法第一七三条所定の候補者の氏名及び党派別の掲示を行うのは、国の委任を受けてその事務を行うのであるから、同管理委員会はまさしく国の執行機関に外ならず、そして右掲示は、一般選挙人に対し候補者の氏名等を周知せしめる目的を以て、国の執行機関である同管理委員会が選挙人(私人)に対する関係で優越的な意思の主体としての立場においてなすものであり、講学上いわゆる準法律行為的行政行為の一である通知行為に該当するものである。従つて、原告らの受けた損害は「国の公権力の行使にあたる公務員が、その職務を行うについて、過失により違法に」原告らにこれを与えたものということができるから、被告は原告らに対し国家賠償法第一条第一項により前記各損害を賠償する責に任ずべきである。

七  よつて、原告八木秀次は前記再選挙費用に相当する損害金六万三三二〇円と慰藉料一〇〇〇万円の内金一〇〇万円との合計一〇六万三三二〇円、原告柏木庫治は再選挙費用に相当する損害金五万五〇二八円と慰藉料一〇〇〇万円の内金一〇〇万円との合計一〇五万五〇二八円、原告関根久蔵は再選挙費用に相当する損害金五万七六二五円と慰藉料一〇〇〇万円の内金一〇〇万円との合計一〇五万七六二五円、原告大谷贇雄は再選挙費用に相当する損害金七万一九九〇円と慰藉料一〇〇〇万円の内金一〇〇万円との合計一〇七万一九九〇円、原告楠見義男は再選挙費用二万八〇〇〇円及び議員歳費一六三万八〇〇〇円に相当する損害金と慰藉料一〇〇〇万円の内金一〇〇万円との合計二六六万六〇〇〇円、竝びに右各金員に対する本件訴状送達の翌日である昭和三一年七月二九日から完済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の附加支払を求めるため、本訴を提起したのである。

と述べ、立証として甲第一号証の一ないし六、第二ないし第四号証を提出し、原告ら各本人の供述を援用した。

被告指定代理人は、「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決を求め、答弁として、

一  原告主張の請求原因のうち第二ないし第四項の事実は認めるが、その余の事実は全部争う。

二  市町村選挙管理委員会が、公職選挙法第一七三条の規定に基いて行う候補者の氏名等の掲示は、国家賠償法第一条第一項にいう「公権力の行使」に当らない。すなわち、右の規定による氏名等の掲示は、政見・経歴の放送(同法第一五〇条第一五一条)、立会演説会の開催(同法第一五二条ないし第一六〇条)、公営施設の使用(同法第一六一条ないし第一六四条)、選挙公報の発行(同法第一六七条ないし第一七二条の二)等と共に、いわゆる選挙公営制度の一環となすものであつて、これらが窮極において選挙の公正という公益保護を目的とする点において公法的色彩を有することは否定できないが、直接には国又は公共団体が本来候補者の行うべき選挙運動に便宜を与えて候補者の負担すべき費用の軽減を図るためのいわば候補者に対する一種の奉仕的行為であつて、これには何等権力的要素は含まれていない。従つて、本件において原告らが主張するように、佐野市選挙管理委員会の職員が候補者の氏名等の掲示をするに際して訴外平林剛の所属政党を誤記したことは国家賠償法第一条第一項にいう「公権力の行使」に当る公務員が、その職務を行うについてなした行為と解することはできないから、右掲示が「公権力の行使」にあたることを前提とする原告らの本訴請求は失当である。

三  なお、原告らの本訴請求は、次に述べるように、不法行為の成立要件を欠くから、失当である。

1  原告ら主張の損害は、法律上保護されるべき利益に対する侵害の結果生じた損害ということはできない。すなわち、公職選挙法によつて定められている選挙無効訴訟及び再選挙の制度は、国政の基本たる選挙の自由と公正を確保し、国民の正当な参政権の行使を担保するという国家目的のために設けられたものであるから、再選挙に当つて国民が候補者として、或は選挙人として参与することは、通常の選挙におけると同様権利であると共に義務であり、そのために負担が生ずるとしても、それは国が選挙無効及び再選挙という制度をとつていることによる反射的結果として生ずる負担に過ぎず、これらの負担は国民として当然忍受すべき性質のものであつて、他の国民との間で分担さるべき筋合のものではない。

したがつて、本件選挙無効ないし再選挙により原告らに何らかの物質的及び精神的損害が生じたとしても、それは、右制度の建前から、個人の利害を超えた公法的責務遂行の当然の結果として、忍受すべきものである。

2  仮に原告らの主張する損害が、法律上保護されるべき個人利益の侵害の結果であるとしても、佐野市選挙管理委員会の職員の過失による違法な掲示行為と右損害との間には相当因果関係がない。換言すれば原告ら主張の損害は、佐野市選挙管理委員会の職員の予見しえない特別の事情が重なりあつた結果生じたものである。すなわち、参議院全国選出議員選挙において単なる一市における一候補者についての所属党派の誤記が選挙の結果に影響を及ぼすがごときは稀有のことで、本件にあつてはたまたま所属党派を誤記された次点者の平林剛が最下位当選者の原告楠見義男と少数の得票数の差を以て落選し、しかも右最下位当選者とこれに次ぐ上位当選者であるその余の原告らとの得票数の差も偶然に比較的僅少であつた関係から、選挙の結果に異動を及ぼす虞があることとなり、前記選挙が無効となつて、原告ら外一名がその当選を失うに至つたのである。また、前記候補者の氏名等の掲示は、公衆の見易い場所になされたものであるから、候補者平林剛の関係者らが当然所属党派の誤記に気付き、訂正され得たはずであるのに、その機会を得ずに投票にまで立ち至つたことは、実に異例のことなのである。かように本件選挙無効の結果は、前記違法な掲示に起因するとはいえ、これをなした職員においてその当時到底予見し得ない叙上のような特別の事情が加わつて生じたものであつて、原告ら主張の損害と前記掲示の誤記との間には相当因果関係がないものといわなければならない。

と述べ、甲第一号証の二ないし四の成立は知らないが、その余の甲号各証の成立を認めると答えた。

理由

一  昭和二八年三月二四日の官報により、同年四月二四日に参議院全国選出議員五〇名(任期六年)及び同補欠議員三名(任期三年)の合併選挙(本件参議員全国選出議員選挙という)を行う旨の告示がなされ、原告八木秀次が日本社会党から、原告大谷贇雄及び同関根久蔵が日本自由党から、原告柏木庫治及び同楠見義男が緑風会からそれぞれ公認されて立候補し、その結果原告関根久蔵及び同大谷贇雄が通常議員に、その他の原告らが補欠議員に当選したこと、右選挙に際して佐野市選挙管理委員会が公職選挙法第一七三条及び第一七四条の定めるところに従い、昭和二八年四月一四日から選挙の当日である同月二四日まで、同市相生町三〇二番地佐野市保育所外二〇箇所に設けられた投票所の入口その他の公衆の見易い場所に、全候補者の氏名及び党派別の掲示をしたが、その掲示において、同選挙管理委員会の職員が、過失により、日本社会党から公認されて立候補した訴外平林剛の党派を日本共産党と誤記(本件提示の誤記という)したので、同訴外人が、本件参議院全国選出議員選挙のうち佐野市における選挙を無効であるとする訴訟を提起したところ、昭和二九年九月二四日最高裁判所において、本件掲示の誤記は、公職選挙法第一七三条の規定に違反し、且つ選挙の結果に異動を及ぼす虞があるものとして、「本件参議院全国選出議員選挙のうち佐野市における選挙を無効とする。但し右選挙における当選人五三名のうち、訴外大倉精一及び原告らを除いた四七名は、その当選を失わない。」旨の判決がなされ、これにより原告らが当選を失つたこと、その結果同年一〇月一七日佐野市において再選挙(本件再選挙という)が行われ、原告楠見義男は落選したが、その他の原告らが再び通常議員又は補欠議員に当選したことは、当事者間に争がない。

二  原告らは、「本件掲示の誤記は、佐野市選挙管理委員会の職員が、国の公権力の行使にあたる公務員として、その職務を行うにつき、過失によつてした違法行為であるから、右行為により原告らが被つた損害については、国家賠償法第一条の規定により、被告国にその賠償責任がある。」旨を主張するのである。ところで、本件掲示の誤記が佐野市選挙管理委員会の過失により、公職選挙法第一七三条の規定に違反してなされた行為であることは、既に述べたところによつて明らかである。

そこで、市町村選挙管理委員会が公職選挙法第一七三条の規定によつて行う公職の候補者の氏名及び党派別の掲示が国家賠償法第一条にいわゆる「公権力の行使」にあたるかどうかについて、判断する。公職選挙法は、第六条に、市町村選挙管理委員会は、選挙が公明且つ適正に行われるように、選挙に関し必要と認める事項を選挙人に周知させなければならない旨を規定し、第一七三条及び第一七四条に、同委員会は、公職の候補者の氏名及び党派別の掲示をしなければならないとし、その掲示内容、掲示期間、掲示方法及び掲示場所について詳細な規定を設けている。これらの規定によると、市町村選挙管理委員会は、国又は公共団体の選挙管理機関として、選挙が公明且つ適正に行われるように、すべての候補者について公平且つ正確にその氏名等を選挙人に周知させるために、右の掲示を行うのであるから、右掲示は、特定の候補者が当選を目的とする選挙運動として行うポスターその他の文書図画の掲示と異なり、国又は公共団体の機関である市町村選挙管理委員会が、民主政治の健全な発達のため選挙の公明と適正とを確保する目的をもつて、優越的な意思の発動として行う行為であるということができ、従つて、それは国家賠償法第一条にいわゆる「公権力の行使」にあたると解するのが相当である。たとえ右掲示が、候補者が行うべき選挙運動に便宜を与え、その限りにおいて候補者が負担すべき選挙運動費用の軽減をきたすとしても、そのことは、右掲示制度に由来する反射的結果に外ならないから、右掲示が「公権力の行使」にあたるとの解釈の妨げにはならない。

してみると、本件掲示の誤記は、佐野市選挙管理委員会の職員が、国の公権力の行使にあたる公務員として、その職務を行うにつき、過失によつてした行為であるということができるから、右行為によつて原告らが違法に損害を被つたとすれば、その損害については、国家賠償法第一条の規定により、被告国に賠償の責任があるものといわなければならない。

三  よつて、原告らが本件掲示の誤記によつて被つたと主張する損害の有無及びその額について、判断する。

成立に争のない甲第四号証及び原告ら各本人の供述によると本件再選挙における選挙運動費用として、原告八木秀次は金六万三、三二〇円、原告柏木庫治は金五万五、〇二八円、原告関根久蔵は金五万七、六二五円、原告大谷贇雄は金七万一、九九〇円、原告楠見義男は金二万八、〇〇〇円を支出したことが認められる。

ところで、本件掲示の誤記が違法であることを理由として提起された選挙無効の訴訟において、本件掲示の誤記は、公職選挙法第一七三条に違反し、しかも選挙の結果に異動を及ぼす虞があるものとして、本件参議院全国選出議員選挙のうち佐野市における選挙を無効とする旨の最高裁判所の判決がなされ、その結果本件再選挙が行われたことは、既に述べたとおりである。これによると、本件再選挙は、本件掲示の誤記により、佐野市における右選挙が無効となつた結果行われたのであるから、原告らは、本件掲示の誤記により、通常生ずべき損害として原告らが右再選挙において支出した前記認定の選挙運動費用と同額の損害を被つたものというべく、従つて被告国は原告らに対し右損害を賠償すべき義務がある。

被告は、「前記損害は、法律上保護されるべき利益に対する侵害の結果生じたものでない。」として、その賠償の責任を否定するのである。思うに、国民主権の憲法の下では、国政の機関を構成する公職の選挙に、国民が候補者として、あるいは選挙人として参与することは、国民の権利であると共に義務であり、このことは、通常選挙の場合であると、選挙無効による再選挙の場合であるとを問わないことも、被告のいうとおりである。しかし、公職の選挙に関する費用を国が負担するか、又は候補者が負担するかは、国の政治特に財政上の問題であつて、現行公職選挙法は、選挙に関する費用のうち、特定の候補者の当選を目的とする選挙運動のため要する費用は候補者自身の負担としているが、それは、候補者として選挙に参与することが国民の義務であることとかかわりがない。従つて、候補者として選挙に参与することが国民の義務であることからは、当然に候補者の選挙に関する財産的利益の侵害までこれを受忍しなければならないものとすることができず、この利益に対する侵害があれば、その侵害に対し不法行為制度による救済が与えられなければならないといわなければならない。

更に被告は、「前記損害は、佐野市選挙管理委員会の職員が予見し得ない偶然ないし異例の事情が加わつた結果生じたものであるから、本件掲示の誤記と右損害との間には相当因果関係がない。」と主張して、右損害の賠償責任を否定するので、考えるに、本件参議院全国選出議員選挙において、次点者である訴外平林剛の全国得票数と最下位当選者である原告楠見義男の全国得票数との差が僅少であり、また右最下位当選者の全国得票数と順次これに次ぐ上位当選者であるその他の原告らの全国得票数との差が僅少であつたとしても、そのことが、被告の主張するように、偶然のことに属するものと認定すべき証拠もなく、そのように推定すべき証拠もない。むしろ、一般に公職の選挙における次点者の得票数と最下位当選者の得票数との差又は最下位当選者の得票数と順次これに次ぐ上位当選者の得票数との差が僅少である場合が少くないことは、顕著な事実である。すなわち、参議院全国選出議員選挙の場合に、一市の投票総数が次点者の全国得票数と最下位当選者の全国得票数との差を超えることは決して稀有のことではなく、しかも近時政党政治の下における公職の選挙においては、候補者の党派別が候補者の得票に重大な影響を及ぼすことはいうまでもないから、単なる一市における一候補者についての党派別の誤記といえども、それは選挙の結果に異動を及ぼす虞があり、その虞がある限り、選挙は無効となり、その結果再選挙が行われることになるのである。また参議院全国選出議員選挙のうち一市における選挙が無効である場合に、候補者の得票数(その市以外の区域における得票数)から公職選挙法第二〇五条第三項に定める他の各候補者の得票数を各別に差引いて得た各数の合計数が、その市における選挙人の数より少ないことも決して稀有のことでなく、その数が少ない限り、その候補者は当選に異動を及ぼす虞があるものとして、当選を失うことになるのである(公職選挙法第一七三条、第二〇五条、第一一〇条参照)。ゆえに、本件参議院全国選出議員選挙において次点者の全国得票数と最下位当選者の全国得票数との差及び最下位当選者の全国得票数と順次これに次ぐ上位当選者の全国得票数との差が僅少であつたことを、佐野市選挙管理委員会の職員が予見し得ない偶然の事情であるとし、そのことによつて本件掲示の誤記と本件再選挙における原告らの選挙運動費用相当の損害との間の因果関係の存在を否認することは、当らない。なお、たとえ、本件掲示が公衆の見易い場所になされたのに、その誤記が、誤記された候補者の関係者らにさえ気ずかれず、訂正されないまま本件参議員全国選出議員選挙の執行をみるにいたつたことが異例に属するとしても、本件掲示の誤記が訂正されなかつたというようなことは、本件掲示の誤記と前記損害との間の因果関係の成否になんら影響を及ぼすものでない。被告の右主張は理由がない。

四  原告楠見義男は、「本件掲示の誤記がなく、本件参議院全国選出議員選挙のうち佐野市における選挙が無効とならなければ、当然議員としての歳費を得ることができたのに、本件掲示の誤記により、右歳費を失い、同額の損害を被つた。」とし、右損害の賠償を請求する。

しかし、右のような損害は、本件掲示の誤記がなく、右選挙が有効に行われたならば、同原告が本件参議院全国選出議員選挙において必ず当選し、議員たる地位を取得することができたということを前提とするものであると解せられるところ、本件においては右のような前提事実はこれを認めることができないのであるから、同原告の右損害の賠償を求める請求は既にこの点からいつて理由がないものといわなければならない。

五  次いで、原告ら主張の慰藉料の請求について判断する。

本件掲示の誤記に起因して、原告らがその主張のような精神的苦痛を蒙つたことは、原告ら各本人の供述によつて認めることができる。しかし、原告らが主張するように、選挙無効の訴訟が提起されることにより、当選を失うかどうか不安焦燥の念にかられ、また選挙無効の判決が確定することにより本件再選挙において再び当選することができるかどうか不安焦燥の念にかられたということ、そのこと自体は、一般に多数の候補者が当選を争う選挙において候補者が果して当選し得るかどうか不安焦燥の念にかられ、精神的苦痛を体験することがあることと少しも異るところはないものと考えられる。

すなわち、原告らが主張する精神的苦痛なるものは、選挙という制度に伴う一般的不安感に過ぎないものなのである。ところでこのような一般的不安感は、何らかの賠償の給付をなすことによつて慰藉さるべき損害であるということはできないものである。従つて、原告らの右精神的苦痛もまた、慰藉の対象となるべきものではないから、原告らの慰藉料の請求は失当であるといわなければならない。

六  以上の次第であるから、原告らの本訴請求は、原告八木秀次が金六万三、三二〇円、原告柏木庫治が金五万五、〇二八円、原告関根久蔵が金五万七、六二五円、原告大谷贇雄が金七万一、九九〇円、原告楠見義男が金二万八、〇〇〇円に、当該金員に対する本件訴状送達の日の翌日であることが記録上明らかな昭和三一年七月二九日から右完済にいたるまで法定利率年五分の割合による遅延損害金を附加して、支払うべきことを求める範囲においてのみ、正当として認容し、その他の請求は、失当として棄却すべきである。

よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。なお、仮執行の宣言は、その必要がないと認めるので、これを附さないこととする。

(裁判官 吉田豊 安藤覚 鈴木醇一)

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